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新聞配達 [思い出・雑感]

中学生3年生から高校1年生にかけて、約2年間ほど新聞配達を

していた。と言っても、その頃から朝が苦手だったので、夕刊

だけだ。それでも200部近くを配っていただろうか。新聞店の

古い自転車にまたがって新聞を配ることはそれほど苦痛ではなかった。

 

新聞配達をしていた理由は簡単で、お小遣いが欲しかったからだ。

なぜだか、母親にはあまり小遣いをくれ、といった記憶が無いので、

私はあまりものを欲しがらなかったのだと思う。

 

ただ、中学生くらいになると音楽に目覚めて、レコードを買うお金が

欲しくなった。それとステレオが欲しくなった。コンポーネント・

ステレオ、という奴だ。だから、私が物欲を覚えるようになったのは、

やはり音楽がきっかけだったのだ。

 

最初は友だちの家で聞いていた音楽が、家でも聴きたくなってきた。

当時、姉貴がいた同級生はことごとくビートルズのシングル盤が

あった。それを電蓄で聴いていた。また、親がクラシックを聴くよう

な金持ちの友だちの家には、家具みたいなステレオが置いてあった。

 

と言っても、聴こうにも当然、その家にあるレコード(あるいはフォノ

シート)は、ほとんど聴いてしまっているので、何度も行っている

うちに自分の好きな曲を聴きたくなってくる。そこで、シングル盤を

買おう!と決めてレコード屋に行くわけである。

 

いや、そのうれしいこと。その頃はシングル盤が330円とか370円

だったと思うが、レコード店のビニール袋に自分の買ったシングル盤を

入れて、持ち帰る時の高揚感といったら!そしてそのレコードを持参して

友だちの家に行く。まぁ、レコードを貸すというより、掛けてもらいに

行く、というのが正解だろうが…。

 

どういう訳だか、若い時は2〜3回も聴いてしまうと歌詞を覚えて

しまい、何だか食べ物の消化みたいに、あっ、という間にその曲を

消化してしまうような感じになる。もう、頭の中のスポンジが歌詞は

もちろん、どんどんメロディーとか、テンポとかも吸い込んでしまう。

 

こうなると、もうレコードがもっともっと欲しくなってきて…。バイト

である。初めて買った再生機はモノラルの電蓄だった。自分でレコード

盤の端っこにトーンアームを持って行って落とす。いかにも軽く、安っ

ぽくてプラスティッキーなクリーム色のトーンアーム。その先からは

まだ見たこともないかっこいい異国の文化が溢れだしてきた。

 

加山雄三の「青い星屑」。おそらくこのレコードが初めて買ったレコード

だったと思う。それから雑誌で通信販売しているフォノシートが安かった

ので、ベンチャーズとかも買った。当時の所謂ポピュラー、と呼ばれて

いた洋楽が好きになり、ラジオも必死で聴くようになった。そして、高校

1年生の時に名古屋駅のあるビルで開催されていた「東芝EMIフィルム

コンサート」というイベントに、ふらっ、と入ってビートルズやCCR

(偶然)見た。そして私は完全にノックアウトされた。

 

新聞配達をしながら、次はどんなレコードを買おうか、と考えていた。

雨が降るとゴム引きのカッパが無茶苦茶臭かったし、ぐれていた同級生が

私の自転車を見かけると必ず蹴飛ばすので、近くの団地の配達から戻って

くるとよく自転車が倒れていた。でも、毎月数千円のバイト代。封筒に

入ったそのお金を数える時、いつも飛び上がりたいほど、私はうれしかった。


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釈然としないCM [広告]

今日、テレビを見ていたら、私が企画、あるいは関わったCM

偶然3本続いた。ある大学のCM。それから、ある宅配ピザ屋の

CM。そして、ある年賀状印刷・販売の会社のCM

 

しかし、3本目の年賀状印刷・販売の会社のCMは、数年前に

私が企画した内容、さらに替え歌をそのまま使いながら、

毎年新たに作り直してオンエアしている。

 

その仕事の依頼を受けたのは名古屋の広告代理店からだが、こう

して毎年、同じ(ような)CMを、私には何の断りもなく、作り

続けている。私は、ギャラが欲しいわけではない。この仕事の

代理店担当が失礼だと思うだけだ。

 

その担当K氏は、そういうことに鈍感な人なのであろう。まぁ、

私たちのような作り手たちの気持ちなど、全く理解できない

タイプなのだろう。

 

が、しかし、毎年、そのCMを見る度、どうにも釈然としない

気持ちが残る。演出も調子のいいタイプのおっさんだったし、

演出としては毎年、企画的には何の労力も供することなく仕事が

来るし、それでギャラがもらえるのだから、これほどいいことは

ないのだろう。

 

しかし、演出といえど少なからず創作活動に関わる人間であれば、

企画をした人間に配慮をして「これはあの人の企画をそのまま作り

直すようなものですけど、断りを入れるべきではないでしょうか?」

くらいのことは、代理店の担当に言うべきではないだろうか?

 

意識の低い人にはきっと私の真意は伝わらないだろう。そんなことが

多いのが、また世の中の常だ。

 

ところで、先日はいい仕事ができた。演出のT君も私の企画の狙いを

よく理解してくれていた。12月からのオンエアが楽しみだ。


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加藤和彦さん [私]

加藤和彦さんが自殺した。うつ病だったそうだけど、それで死のうと

思ったわけではないような気がしてならない。

 

私は、老いさらばえて、表面・内部とも変貌、もしくは機能していか

なくなる発想やら、思考やら、精神やら、皮膚やら、器官やら、筋肉

やらが…。いやだった。そうとしか思えない。

 

なぜ、そう思うのか。それは、私がそうだから。なんて、いい加減な

理由。ただ、私は、人にとっては生き続けたいと願う気持ちより、

苦しみや痛みのイメージに溢れたその時代を、なんとか避けてしまい

たい、と願う人が数多くいると思うから。

 

実際、大した仕事をしているわけでもない、こんな私でさえ。創造力の

枯渇は、恐怖だ。例えば、クライアントにCM案の説明をした後に、

こんないい方をされることが多い。「よくこんな案を考えられますね」

「大変ですよね」など。

 

至ってこれはお褒めのお言葉である。私にとっては勲一等瑞宝章を授与

されることより遙かに誇らしいことである。

 

しかし、こういったことで褒められるのが大好きな、この私が、そう

いった仕事ができなくなったら、いや、そのような発想ができなくなっ

てしまったら!もう、それはえらいこっちゃ。

 

つまり、それが私であって、あれは私ではない、というわけなのさ。

 

私でなくなったら、もう覚悟するしかない。加藤さんは、だから。

 

まぁ、そんなことを考ながら、今日も身から何かを搾り取ろうとする

私でございます。あ、ひょっとしたら私は柑橘系かもしれない。(何の

ことやら)

 

アイデンティティの喪失。

 

 


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CMのこと [広告]

CMの企画をしていて思うことがある。それは今や、表現技法の中で

すっかり使えなくなってしまったものがある、ということだ。

 

それは何かというと、所謂「歴史的な常識をパロディ化した表現」と

でも呼ぼうか…。つまり、われわれ世代が常識として、知っていた

史実、有名なセリフ、さらには人物名、エピソード、などをCM

企画のエッセンスとして使おうと思っても、肝心の消費者がそのことを

知らない、という事実だ。

 

例えば、有名な「巌流島の決闘」における武蔵のセリフ。あるいは、

あえて時間に遅れて小次郎を苛々させたことなど。これは私が実際に

以前、ポケットベルのCMで企画したもの。

 

要するに、待てども暮らせども現れない武蔵が、やっと巌流島に着く。

そこで小次郎が「何で遅れるのなら、ポケットベルで連絡を入れない

んだ!」と怒る、という設定だった。ま、簡潔に言うならこういう

ことだ。今なら、通用しない(パロディになっていることが分からない)

CMになってしまう可能性が高いだろう。

 

有名なクラーク博士の「青年よ大志を抱け」という言葉。石川五右衛門は

泥棒であったことや、釜ゆでになったこと。ギブミー・チューインガム、

と言っていた子どものこと。数え上げればきりがない。それでも、それは

われわれ広告を作っていた制作者の、ある意味での啓蒙や風刺に使われ、

それなりに市民権を得ていた表現技法であった。

 

以前なら誰でも知っていた当たり前のことを、あまりに知らない人が

多い。驚きを通り越してあきれてしまう。あれほど学習塾に通って、

多くの時間を知的レベルの向上のために割いてきたはずなのに…。

(とは言え、学習塾ではそんなことは習わないのかも)

 

コンピュータが可能にした表現技術は、素晴らしい速度で進化したが、

表現技法は幼稚化したように思えて仕方がない。      つづく


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CM企画 [広告]

最近、CMの企画という仕事が多くなってきた。今のところ、6本の

仕事を抱えている。いや、久しぶりに同時にこれだけのCMの企画を

することになったわけだが、そこで気が付いたことがあった。

 

それは、まだまだ頭は柔らかい、ということだ。自分でも面白い!と

思える企画が出てくる。齢54歳にして、まだまだ若いプランナーと

互してやれるじゃないか、という自信と安堵感を感じている。

 

そもそもコピーライターであったが、元々漫画好きで、子どもの頃には

漫画家になりたい、などと夢想したこともあったくらいであるから、絵

は、上手くはないが描くのは好きだ。しかも、ラフコンテあたりであれば、

それほどの(基準は微妙ではあるが)デッサン力は必要とされない。

要は、展開が読み解ける程度であればいいわけだ。

 

そのような状況もあって、CMプランナー、という肩書きも取り敢えずは

名刺にも書いてある。初めて企画したCMは、今から20数年前のこと。

自分自身も驚いたくらいに当たってしまった。ただ、自分に、そんな

才能があるとは思いもせず、偶然の出来事だったのだろう、ほどにしか

思ってはいなかった。

 

ところがである、やはり、それはあった。今頃、やっと気が付いたのだ。

企画しても、全く通らない時期が続き、悶々と過ごしたこともあった。

それにめげて、ここしばらくあまり積極的にCMには関わらなくなって

いた。もちろんこの不況下、CMの制作も激減したという事実も手伝い、

商品企画や経営戦略のアドバイス的なことに比重を移してきた。

 

しかし!久々に鉛筆を削り、白い紙に走らせる線から生まれてくる世界は、

ああ、何と言うことだろう、かつてオンエアを想像し、わくわくしながら

CMの企画を考えていた、あの当時の悦びを再び蘇らせてくれるもので

あった。

 

まだ、どころか、かなりやれる!私は、もう少しこの世界で生きて

いけるに違いない、と改めて思った。たかがCM、されどCM

 

私は、インターネット広告がすでにラジオCMの媒体費を超え、電通が

赤字に転落したこの2009年に、もういちどテレビCMが輝いていた

あの頃を思い出しながらCMの企画に取り組んでいる
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09今年も原爆について。 [戦争・原爆・日本人]

8月15日。終戦の日は過ぎてしまった。仕事が忙しくて更新し

なくては、と思いながらできなかった。遅ればせながら、戦争に

ついて書こうと思う。

 

もちろん私は戦争を知らない。よく言われる(既に過去形になっ

ていて、よく言われた、になっているかもしれない)この「戦争

を知らない」という言葉。

 

おそらくあの有名な曲「戦争を知らない子どもたち」から、よく

耳にする言葉になったのではないだろうか。ところで、ここで

言う「知らない」は「経験していない」という意味であったはず

だが、最近は本当に戦争そのものがあったことや、戦争というも

のがどういうものであるのかを「知識として持っていない」こと

を指し示すようになってきたように思う。

 

つまり「知ろうとしない」「関心がない」「どっちでもいい」と

いうような時代に(日本が)なってきたと。こういうことだろう。

 

私たちの世代は、親が戦争経験者であった。昭和29年生まれの

私は、戦後9年目に生まれた。当時の親は20歳で子どもを持っ

たとしても、終戦の時には11歳だ。29年に30歳で親になれば、

終戦の時は21歳だった。

 

だから、よく戦時中の話を聞かされた。満州から帰還した親戚の

おじさんの話。フィリピンで戦死した知り合いの話。三菱の工場で

飛行機を作っていた話。防空壕へ逃げ込んだ際の話。芋の蔓を食べ

た話。恋人が戦死した人の話…。たくさん、たくさん聞かされた。

 

とは言え、悲しい話や辛い話ばかりでもなかった。勇ましい話も

それなりに聞いた。それは、資源さえあれば、日本の技術力はどの

国にも負けない!といったようなことだった。だから、敗戦国の

子どもは、それでも日本という国に誇りを持ちたくて「零戦」や

「大和」に夢中になった。

 

零戦に乗って敵機を次々に撃墜する日本人。気分はまるで坂井三郎

のような撃墜王になって、子どもの頃は戦争の悲惨さには目もくれ

なかった。

 

そんな子どもたちは成長と共に、いかに日本人にとって戦争が過酷

なものであったかを徐々に知るようになる。そしてその象徴が

「原爆」だった。それまで本土空襲の話や、沖縄地上戦の話を聞か

されても、もうひとつぴんと来なかったが、「原爆」の話だけには、

なぜだか猛烈な憤りを感じた。

 

ものごころが付き自分なりに戦争のことを考えてみた時、相変わらず

どうしても割り切れないもの。それは「原爆」だった。確かにその後、

東京大空襲の様子などを知れば、市井の人々を巻き込んだ大量殺戮に

明らかに怒りを感じたが、それはずっと後だ。

 

それは私が日本人だから?最近、その謎がやっと解けてきた。それは、

あれが「正しかった」と述べるアメリカ人が多いからだと…。

 

先日の新聞にも載っていたが、アメリカ人の男性の実に72%が、

原爆投下は(戦争終結、あるいはあれ以上のアメリカ兵の犠牲者を

ふやさないために)正しかったと答えている。

 

共和党支持者に限定すれば、アメリカ人男女の74%だ。(民主党

支持者は49%)

 

以前にも書いたが、正しい、ということであれば、それは再び同じ目的

であれば用いてもいいのではなかろうか?つまり、朝鮮戦争でも、ベト

ナム戦争でも、イラク戦争でも、アメリカが介入した戦争全般に原爆を

用いればいい。正しい、とはそういうことではないか。

 

あの時は、正しい、と思ったが…。実は、とんでもないことをして

しまった。大変なことをしてしまった。と答えるのが、私としては

それこそ「正しい」と思うのだが。

 

原爆投下の日も、終戦の日もとうに過ぎてしまい、書きかけのこの記事

をまとめられず悶々としていた。誰も待ってはいないとは思うが、

今年も8月に戦争についての記事をアップする。


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旅行 [思い出・雑感]

旅行という言葉に、私はある種の羨望感や諦観の思いがあった。なぜなら、

私は子どもの頃、ほとんどそういった経験をしたことがないからだ。

 

私が高校生になって、ヒッチハイクなどで京都や東京に行くように

なるまで、私にとって小中学校の行事として出かける修学旅行など以外の

旅行は、たった2回だった。

 

ひとつは母親が働いていた会社の慰安旅行で出かけた京都への日帰りバス

旅行。網に入ったみかん。車窓からの眺め。そして帰路で眠くなって

しまい、母親にもたれて眠った時間…。その時のうれしさは、この年齢に

なってさえもまだ高揚した気分のかけらが残っている。あの頃の私の拠り所は

母親だけだったのだろう。幼かった…。

 

もうひとつは、小学2年生の時に確か2泊だと覚えているが、母親の友人で

うちと同じように母子家庭だった家族と2組で行った海水浴。知多半島に

ある内海海水浴場に行った。これは、もう、うっとりするほど素敵な時間

だった。明るすぎる太陽、海の香り、潮騒の音、砂の色…。そして母親の

温もり。

 

私が今でも海の傍でゆったりすることが大好きなのは、このような原体験が

影響しているのかも知れない。尤もどういう訳だか分からないが、日本の

海ではあの頃の思い出とシンクロしない。あの時の海は、もっと人が少なく

て、きれいだったから。かれこれグアムに30回近くも行っているのは、

不思議にあの海と重なるからだ。

 

ヨーロッパには12〜3回ほど行っている。歴史と文化に、これまたうっとり

する。アメリカのメインランドには1度も行ったことがないのは、どうしても

選択肢としてヨーロッパが生理的に優先されてしまうからだ。

 

近ごろ、やっと旅行というものに対して、フラットな感情で接することが

できるようになった気がする。国内でも海外でも、私はようやく劣等感に

似た感覚を持つことなく、旅行を楽しむことができるようになった。

そして私は、9日からあの大好きな海を見に行ってくる。


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野菜ソムリエ [雑感]

野菜ソムリエ。まぁ、何だか分かったような、分からないような…。

ま、野菜に詳しい人なんだろうけど、ソムリエ、にひっかかるよね、

どうしてもさ。

 

いーえ、こういう資格?あるいは制度にいちゃもんを付ける気はね、

毛頭ありませんとも。誓って。

 

ただ、野菜、と頭に付いていて、ソムリエ、はいささかフィットしない

のではなかろうか…。とさ、思うわけですよ。寿司にソースを付けて

食べるみたいな、といえば分かってもらえるかもですが。

 

 

この前(1ヵ月ほど前かな?)タバコをやめて欲しい有名人、みたいな

発表があって、名前が並んでいました。立川志の輔さんだったかな、

確か1位は。ベストなんだかワーストなんだか、知らないけれど…。

 

私自身、タバコはもう25年前にやめているので、喫煙者ではありません。

でも、やめてもらいたい(以前はもっと辛辣な言い方であったらしい)

とか、子どもに悪影響があるとか、そういう曖昧なことで、喫煙者を

名指しでどうこういうのはおかしくないかなぁ。

 

だったら、車は排気ガスを出すのだから、車に乗って欲しくない人、

とか発表してもいいのではないかい?あるいは、コレステロールが高い

マヨネーズ。食べて欲しくない人ランキング、とか。

 

ひとそれぞれ楽しみがある。ね。マナーをわきまえないことはよくない

こと。でもマナー違反を注意することと、許されていることを楽しむ

ことを、いっしょにしちゃよくないのでは、と私は思います。

 

世の中、もっと糾弾しなくてはならないことは他にありそうな気がする

のは、私だけ…?(と、些細なことに食い下がる私でした)


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一流クラブへ [雑感]

一流クラブへ、行ってきた。いや、正確には取引先の社長さんが

連れて行ってくれた。所謂、財界の方々の社交場として活用される

店だ。もちろん、名前は知っているけれど、きっと死ぬまで行く

ことはないだろうな、と思っていた店だった。

 

その日も店の前には黒い高級車がずらりと並んでいた。つまり、

運転手付きの車で移動する人たちのための店である、ということだ。

 

バブルの頃には、よく「クラブ」と名の付く店に行っていた。

行きたかったわけではないが、行くことが何だか当たり前のような

時期だったからだ。

 

しかし、その店は、私の知っているようなクラブとは全く違う

店だった。正直、好奇心だけで「見たい」と思っていたのだが、

行って、見ることができて、よかった、と思った。

 

その時の私のスタイルは、コッパンにギンガムチェックのシャツ。

いっしょに行ったデザイナーとフォトグラファーも同じように

カジュアルなスタイル。その店では、おそらく随分浮いていたこと

だろう。

 

明るくて、決して華美ではない空間。こんな言い方は失礼かも知れ

ないけれど、ごくふつうの顔立ちをした薄化粧の女性たち。つまり

ここは、異性としての女性ではなく、役割の適性として選択された

女性、が仕事をするところなのだ。

 

甲斐甲斐しく働く女性は、男性の幼児性を誘発する。但しそれは、

この店の客筋から想像するに「甘える」のではなく、限りなく

「攻める」という言葉に近い。簡単に言うなら「いいかっこをする」

という、いい意味での幼児性だと思う。

 

振り返ってみれば、その「いいかっこをする」男たちが減ってきて

から、この国の独自性は失われていったような気がする。とは言え、

私はこの店に顔を出す人々が、すべてそういう類の人々だとは、

もちろん思ってはいない。

 

お金を、地位を、名声を、得た後に、改めてそれらをもういちど

客観視し、そして対峙して、自らを見つめることができる人でなく

ては「いいかっこをする」人にはなれないように思う。

 

手に入れたよろこびは、瞬く間に色あせる。1億より、2億の方が

偉い、というパラドックスや呪縛に捕らわれる。けれどもそんなこと

ではなく、得たものをどんな形に加工していくかで、その輝きは

持続する。

 

そのお金で、その地位で、その名声で、どれだけ人に優しくなれる

のか…。

 

おそらくもう二度とその店に行くことはないだろう。私の人生には

全く関係のない世界…。素晴らしいワインを手に入れても、私には

ガラスのコップしか持ち合わせがない。さらにはそれをじっくりと

味わう舌さえも。

 

楽しくも、有意義な時間を、K社長、ありがとうございました。


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そして僕は老いていく。 [私]

あれは何歳頃のことだったのだろう。あの頃はどうやってお金を

工面していたのだろうか。おそらくあの頃は今のように酒を痛飲

することもなかったから、それほど必要ではなかったのかしら。

 

名古屋の繁華街にある洒落たジャズバーで「ジョン・コルトレーン

&ジョニー・ハートマン」を聴きながら、すっかり気分は大人みた

いだったよ。

 

東京の東郷神社の近くにあった仏語で「どん底」っていう名前の店で、

みんなでトランプをしたっけ。そんな僕らをムーンライダースの鈴木

さんが笑いながら見ていたね。

 

京都の円山神社では週末毎にライブがあったのかな?終わりがけに

行くと無料で見ることができた。ウエストロードBBとか、サウス・

トゥ・サウスとか訳分かんない高揚感があって、うん、よかったー。

 

ああ、そうだった、そうだった。あの頃は、

「京都」と「東京」しか行かなかったんだ。

 

ジャズ喫茶がいっぱいあったし、凝ったオーディオが置いてある店が

多かったから、京都にはよく行った。YamatoyaとかDownBeatとか。

高野悦子の「二十歳の原点」を読んだし、そうだ!京都行こうって…。

 

柴田翔の「されど我らが日々」に描かれていた女性に激しく憧れてしま

ったなぁ。僕も積み木をくずしてほしかった。

 

下北沢のMASAKO、吉祥寺の赤毛とそばかす、それから西洋乞食。高円

寺のキーボード、中野のKIDO。名前さえ逸してしまった多くの店。

 

恥ずかしい思い出ばかり。いつだって顔を赤くして僕は生きてきた。

そしていつの間にか、僕は悲しみやよろこびに、すっかり鈍感になって

しまったんだ。


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