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私の住宅2 [住宅について考える]

家のことについて書いたら、けっこう多くの方々に読んでいただけたようなので、気をよくしてまた書いてしまいます。すいません。こんどはうちの家の家具やら家電のことです。私はコピーライター兼CMプランナーですが、デザインが大好き。ポスターなんかでも、いつもコピーを書いて、サムネールも必ず描いてしまう。もちろんデザイナーも考えてくるけれど、ほぼ100パーセント、私の案で決まります。こういう性格というのは、遡れば子どもの頃からだったと思います。(あ、ちなみに今回は、です・ます調です、気分的に…)タイポグラフィーというか、文字の形にもかなり敏感な子どもで、自動車のエンブレムの横文字でもあのクルマのはかっこいい、とか勝手に思っていました。なぜ、デザイナーにならなかったのかといえば、私にはデッサン力が足りないということが自分的に許されないことだったからです。(でも、下手なデザイナーより、ずうっとマシです)

そんな私ですから、もう家の中は大好きなデザインの物に囲まれて暮らしたい、と熱望しました。ただ、質の悪いことに「本物」が欲しい…。とは言え、いかにもパロディーでござい、というやつは大好きです。友だちの奥さんがはいていた、あきらかに偽物のヴィトンの(模様の入った)靴下とか、PUMAがTUNAになっているTシャツとかは好き。でも、LC-2もカッシーナのちゃんと刻印の入ったやつが欲しい…。うーん、しかし、やっぱり高いのでここはレプリカで我慢だよなぁ…、と考えていたらうちの太っ腹の家内が「あんた、本物にしやーよ」(名古屋弁)と言ってくれたのです。彼女は気前よく貯金で、憧れのLC-2を買ってくれました。よっしゃ、好きな家具で揃えてしまえ!!俄然魂に火がついた我々は、アアルトのトロリーやアルフレックスの籐製の椅子を買い、ザノッタに(生地を選んで)ソファを別注、ザノッタ関係はエンツォ・マリがデザインしたガラスのダイニングテーブルから、丸テーブル、事務所の収納棚(デザイナーの名前は失念)などなど。さらにお約束のヤコブセンのアントチェアを4脚。ええい、事務所の机はウイルクーハンじゃ。事務椅子はイームズのアルミナムのレザーバックと、ファブリックバック2脚!いやはや、その他諸々スタルクやらイームズのチェアなども加えて、もう置くところがなくなってしまい、困ってしまいました。(多分美観も損ねてしまっています、やりすぎはいかんね…)

さて、こんどは家電。冷蔵庫がGEなのはすでに書きましたが、ステレオはB&Oの黒に。(重いダイキャスト製のリモコンを落とすたびに黒く塗ったメープルのフローリングが傷つくけれど…)ブラウンのコーヒーメーカー、デロンギはブレンダーやらオイルヒーターやらかなりの数。掃除機はダイソンとミーレと、エレクトロラックスで悩んだ結果、価格とカラーリングでエレクトロラックスを2台。事務所の机にはアルテミデの照明が、これまたお約束で…。さすがにテレビはSONYです。エアコンもいいのが見つからず普通のデザイン…。へへへ、アホでしょ。もちろん、まだまだありますが、ここいらで家電コーナーは終了します。

で、ガスコンロはマジックシェフです。ちょい自慢なのはカセットコンロもアモルファスというところかな。確か2万近くしたような気がしますが、カセットコンロですからねぇ…。名古屋弁で言うところの「タワケ」です。そんなこんなで鍋は(こんなに人気が出るなんて想像もしていなかったのですが)カラフルなル・クルーゼがたくさん。事務機器もシュッレッダーと計算機はアマダナ、テープカッターはパリとロンドンで買ってきた物。さらにはリモワのスーツケースが実用とオブジェ兼用で大〜小7個、ゼロハリバートンはアタッシュで黒、銀がひとつづつ。負けじとグローブトロッターが4個。と、書いているうちに何だか疲れてきてしまいました。

さて、どうしてこういったものを買っているのかというと、実は結論は簡単なのです。いつまでも飽きずに使い続けていたいから、そして、手放す時にでも誰かが「欲しい」と言ってくれそうだからです。これなら捨てられる物たちは最小限ですむし、せっかく作られてきた物たちも、寿命が長くなるように思うからなんです。思い入れがある物なら、大事に出来る。その思い入れが、私の場合はデザインだったということなんでしょうね。


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私の住宅 [住宅について考える]

私の住む家は、4年ほど前に建った。設計は友人の建築家(というか設計事務所)に頼んだ。とは言え、私もおおよその図面を描いて自分の望む空間を提示した。完成するまでには、まぁ、いろいろな問題は当然あった。そんなことは当たり前だ。しかし、100パーセントではもちろんないが、概ね気に入っている。気に入っていると言うことはどんなことかというと、つまり「愛着」が持てる、ということだ。

完璧な物など、世の中には滅多にない。なにしろ人間は気分によって、人格まで(一時的に)変えてしまう生き物だからだ。大好きな人とだって、虫の居所が悪ければ喧嘩をしてしまう…。それが人間だ。だから「愛」という言葉がついた「愛着」が必要なのだ。「愛」とは自分の気まぐれや、心のさざ波を包括して、それでも結局のところ「やっぱり気に入っている、大好きなんだ」と思うことが出来る、ということ。つまり「完璧」ではないことを自覚して、それそのものを楽しみながら生きていくために必要な「通行手形」なのだ。

私の家の2階には、東面と南面に大きな開口部がある。そこは足下から2メートルくらいの高さの、いうなればでっかい引き戸になった窓である。そこからは春になれば(私の家は川沿いにあり、その土手には桜の並木がある)満開の桜を大パノラマで愛でることが出来る。しかし、危ないと言えばかなり危ないかも知れない。なにしろ転落防止のための策は何も講じられていないからだ。さらに3階にも高さはそれほどでもないが、やはり、足下から開口部が設けられている。ここも同じように危ないと言われれば当然かなり「危ない」。

ところで、我が家を訪れた人々の中には、これらの開口部を指して「危ないから何とかした方がいい」とかいう輩がけっこういる。私はそういう人が嫌いだ。私の家は私と家内の物だ。どのような家にするかは我々の自由だ。落下するかも知れない開口部は、逆に言うならそれほどの大きな開口部から桜を愛でる悦びを享受できる希有な窓である。似たようなことはいくつもあった。うちの冷蔵庫はGEに特注した(塗装色を)物だ。それを見て、日本製の冷蔵庫の方が機能的に優れている、とのたまう人物もいる。何をか言わんやだ。あるいは、ここは使いにくいだの、デッドスペースだの…。

先に「愛着」という言葉で表現したが、自分の家族はあばたもえくぼで、自分で悪く言うのはいいが、人にはそういうことは言われたくない。家だって同じである。第一、そういうことを言う人の家はどこかで見たような外観の、ありふれた間取りの家であることが多い。(あるいは。どスタンダードな賃貸住宅…)それで「愛着」が持てるのだろうか?これはかなりの疑問である。

さらに私は「バリアフリー」を住宅に取り入れていくということにも、諸手を挙げて賛成できない。日本ほど寝た切り老人の多い国はない、と言われている。それは周りの者がそうし向けてしまうからだ。おむつをあてがい、ベッドに寝かせ、自力で色々なことをしようとする気持ちを摘んでしまう。だから、過剰なバリアフリー仕様はそれを認めてしまうことにつながる。しかも、今は元気であるのにもかかわらず、将来のことを考えて、とか言う人がかなりいる。私はゴメンだ、そんなのは。見た目にもかっこわるい手すりなど付けたくもない。そうなったときに考えるべきことを、誰かの策略に乗って「用意周到にすることが素晴らしいこと」として、みんなの気持ちを洗脳していく。それこそが住宅リフォーム詐欺の被害に遭っている老人たちに、共通してすり込まれている観念だと思う。

人生やライフスタイルに対する考え方は千差万別だ。どれが正しいと言うことはない。けれども、どれが好き、という感覚は明らかに一人一人の心の中に存在している。私にしてみれば、それこそが最も重要視するべきことで、結局は私のアイデンティティは、それなのだと考えている。


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