CMのこと [広告]
CMの企画をしていて思うことがある。それは今や、表現技法の中で
すっかり使えなくなってしまったものがある、ということだ。
それは何かというと、所謂「歴史的な常識をパロディ化した表現」と
でも呼ぼうか…。つまり、われわれ世代が常識として、知っていた
史実、有名なセリフ、さらには人物名、エピソード、などをCMの
企画のエッセンスとして使おうと思っても、肝心の消費者がそのことを
知らない、という事実だ。
例えば、有名な「巌流島の決闘」における武蔵のセリフ。あるいは、
あえて時間に遅れて小次郎を苛々させたことなど。これは私が実際に
以前、ポケットベルのCMで企画したもの。
要するに、待てども暮らせども現れない武蔵が、やっと巌流島に着く。
そこで小次郎が「何で遅れるのなら、ポケットベルで連絡を入れない
んだ!」と怒る、という設定だった。ま、簡潔に言うならこういう
ことだ。今なら、通用しない(パロディになっていることが分からない)
CMになってしまう可能性が高いだろう。
有名なクラーク博士の「青年よ大志を抱け」という言葉。石川五右衛門は
泥棒であったことや、釜ゆでになったこと。ギブミー・チューインガム、
と言っていた子どものこと。数え上げればきりがない。それでも、それは
われわれ広告を作っていた制作者の、ある意味での啓蒙や風刺に使われ、
それなりに市民権を得ていた表現技法であった。
以前なら誰でも知っていた当たり前のことを、あまりに知らない人が
多い。驚きを通り越してあきれてしまう。あれほど学習塾に通って、
多くの時間を知的レベルの向上のために割いてきたはずなのに…。
(とは言え、学習塾ではそんなことは習わないのかも)
コンピュータが可能にした表現技術は、素晴らしい速度で進化したが、
表現技法は幼稚化したように思えて仕方がない。 つづく
難しい問題ですね。
ただ、知らないことに失望するよりも、今現在、通用する言葉や話題に遅れをとらないように、ワタシたち年代も勉強する必要があるかも知れません。
ワタシたち・・・・・一緒にしてゴメンなさい。
by okko (2009-10-04 15:53)
ドイツのいろんな常識を知らないめぎは、何を見てもそのパロディの背景が分からず、なんだか幼稚園児として暮らしているような気分になることがありますよ。
で、日本のことなら分かるかといえば、今流行のことはなにがなんだか。
by めぎ (2009-10-04 18:20)
意味がわからなくても、背景を知らなくても、それを敏感に感じる心が
あってもいいような気がします。
「これ、なに?」って思えば調べたりすることもあるかと…。
でも、それすらしない風潮があるかもしれませんね。
クライアントも幼稚になってきているんじゃないでしょうか^^;
by toro (2009-10-05 07:58)
傾向として 断片的記憶術に長けている、そんな気がいたしませんか?
by engrid (2009-10-05 17:24)