アジア大会 [思い出・雑感]
アジア大会。子どもの頃は、ほとんどの種目で日本が金メダルを
取っていて、日本のためにこの大会は開催されているのだろうか?
などという気持ちでいつも見ていた。
陸上も水泳も体操も…。すべての種目で、基本的にすべて金メダルは
競技を始める前から、日本にほぼ決まっていた。それが…。いつしか
日本の定位置だった金メダル獲得数ナンバー1は、中国になっていた。
今でも陸上競技で、沢木啓介選手が走っているシーンは記憶に残って
いるし、何だかどの競技もダントツに日本、という印象だったのに…。
こういうことが時代の趨勢というやつなのだろう。傲る平家は久しか
らずや…。行く川の流れは絶えずして…。まぁ、時代は変わるわけだ、
それはボブ・ディランの歌のように。
それらを受け入れることを拒否すれば、今のこの時代には生きていけ
ない。挨拶もしない。マナーも守らない。尊ぶこともしない。もちろん
謙譲なんて言葉は死語だ。
私は、実はそういう変わってしまった時代に適応できない自分が、ひどく
情けなく、故に、悲しい。これから、もうきっと私が思う、否、願う
日本人像は生まれてこないのだろう、と諦観している。
それはまさしく、ものの見方や感じ方、倫理観をも含めた私が望む日本、
そして日本人が、既に限りなく少数派としてしか認められなくなった、
という証に過ぎない。
アジア大会の話を持ち出したことは、つまり中国という国のものの見方を
受け入れること、それが即ち日本人のアイデンティティ喪失と無関係では
ないように思ったからだ。そしてそれが否応なしにスタンダードになる。
怒りは捨てたし、達観も訪れない。時の流れを傍観するだけにしよう。