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昭和な私、偏狭な私。 [日本人]

なんだかんだですっかり更新をしていなかったこのブログ…、

まぁ、誰に強制されるわけでもないし、これからもぼちぼちと

書いていきます。

 

8月、9月と、まさしくかつて経験したことがないほどの業績不振!

なんて書くと大きな会社みたいですが、個人事務所です。いやはや

誰かが間違えて発音した「未曾有」です。いや〜、参ったなー…。

 

 

といったペシミスティックな話はさておき、今日はディズニーランド

のこと。あの施設は、一度行ったけど、どうにも性に合わなかった。

今後二度と行くことはないだろうが、なかなかに人気があるらしい。

 

好きな方にはたまらないのだろう。夢がいっぱいあるらしい。そういう

方から言わせれば、私は変人も変人、超変人になるに違いない。で、

特に何が好きではないか、というと例の着ぐるみが、どうにもだめ。

 

私世代の子ども時代は、あんな着ぐるみなんて見かけようものなら、

うしろから跳び蹴りをしたりして、(ごめんなさい)中に入っている

人物を激怒させていたものなのだ。かわいい?なんて思う感受性が

はなっから欠落している。

 

いつからか日本は「ゆるキャラ」という奇妙な着ぐるみがのさばり

始めて、ぬるーい空気を攪拌しながら歩くようになった。角の生えた

坊さんがいたりして、これは諸外国の人が見たらあきらかに悪魔だな。

 

幼児や婦女子がぬいぐるみや人形を可愛い、と思う気持ちは分かるよ。

それらには擬人化して遊戯を楽しむ、というごくごく成長過程におい

ては自然な行為の出演人物(動物)としての役割を感じることができ

るから。男の子が飛行機のおもちゃを持って「ぶ〜ん」とやるのと

同じだろう。

 

でもさ、着ぐるみって、中に入っているのはバイト代もらって働いて

いる方々でしょう。ミッキーでもグーフィーでも、ま、ドナルドは、

ちょっと好きだけどね…。

 

6歳頃のこと、雑誌に「ディズニーランド」という名前のものがあって、

ずいぶん欲しかった記憶がある。アニメのディズニー映画にもこころが

踊った。なんて可愛くてデザイン的に(子どもがこんな言葉で感じるわけ

ではないが…)垢抜けているのだろうと。おまけに書体もかっこよかった。

 

ある時、そんな私の前に着ぐるみが現れた。まぁ、そんなものはわれわれ

の絶好の攻撃対象だし、見るのも恥ずかしかったし、その動きもまるで

のろくて、どうにもいたたまれない気持ちになった。視界が狭いのだから

当たり前だけども。

 

よくできてはいても、それは好感が持てなかった。ある意味、夢を壊す

ものだった。すんごく感じたのは「ニセモノ感」。本や映画の中でこそ、

ふくらんだ想像力が、つまり無いはずのものだから楽しかった気分、が

目の前に現れることによってつまらなくなった。魔法から醒めたのだ。

 

明らかに、昭和の人間の感覚なのかなぁ。ウオルト・ディズニーさんが

望んだ世界観はこういうことだったのかなぁ?いつもその陰に見え隠れ

しているのが「お金」っぽい、不思議な感じ。そして、高い料金を払って、

入場できる人々や、その家族はある意味「幸せ」なのだろう。ああ、

とうとうディズニーランドに来られるようになった!ってね。

 

VIP用のパーティールームで金持ちの子どもたちや、その母親が集まっ

て誕生日会を催す。それが子どもたちに夢を与える素敵な施設なのだ。

 

偏狭な私は、いつしかお金で買えないものこそが、いちばん大切で、

それこそが夢を生む原動力になるものなんだ、と思い込んでいた。もう

いちど、ゆっくり考えてみなくてはならないようだ…。ね。


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