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あるドラマ。 [広告]

過日オンエアされたあるドラマを、ほんの少しだけ見て思った。

今や、テレビショッピングという番組が始まって、所謂CMと本編(番組)との
境目が限りなく消失しつつある。

本来、CMに割かれる時間は、いくら民放であっても放送総量の18%?
(うら覚えですいません)以下と決められていたはず。

そもそも某企業の某住宅情報誌がインサイダー取り引きなどの(政治家への)
利益供与によって、明らかな広告ページを記事扱いのように見せることで、
雑誌もどきとして日販などを通してしまったことから、こういう傾向が顕著に
なってきた。

結果、テレビショッピングという、とても番組とは思えない内容のものが、
広告としてでは無く番組としてオンエアされるようになった。そしてとうとう
…ここまで来たか、というドラマが出現した。

小説をドラマ化して骨太でアフォリズムに富んだものにするのは理解できる。
「白い巨塔」などはその典型にも見える。そこから窺えるのは、社会悪への
疑問を明らかにしようとするジャーナリズムだ

しかし、そのドラマはそういう視点は全く感じられなかった…。某企業のただの
提灯持ちのようなドラマ…。(終わりがけには、とうとう実際に販売している
商品映像までインサートされていた)

一体、何が言いたかったんだろうか?

そこではたと気が付いた!なるほど。これは手の込んだテレビショッピング
だったのだ。

メディアリテラシーの重要性をこれほど強く感じたことは無い。ある方向から
だけの情報による先入観や洗脳。

しかし怖いもんだなぁ、と思った次第である。(頭のいい連中にかかれば、
ある種の情報発信で好感度も簡単に買える時代になったのだ)

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猫とアヒル [広告]

猫とアヒルのCMが嫌いなのだが、どうやら好感度は高いのだろう。

結婚式を機に保険に入りなさい、ということなのだろう。ま、

それはいいだろう。しかし、子ども相手の商品でもなかろうに、

なぜ、あんなに甘ったるくて、どうにも幼稚なのだろう?

 

ああいう表現は「可愛い」のか?それとも「素敵」なのか?

私には理解できない。幸せよ、と言っているのだから、おそらく

幸せ、を継続するためには「保険」が不可欠だということなの

だろう。ま、いいけどさ。

 

全く話は変わるのだが、20歳の頃、交通事故で怪我をしている

犬を見つけた。もがいていたので獣医に連れて行ったら怒られた。

「何で助けてきた?」と。そして「お前はこの犬が元気になったら、

飼うつもりなのか?」と言われた。「いいえ」と答えたら「だったら

放っておけ」と。獣医は続けた。「誰だって、可哀想だと思うんだ」。

 

私はその獣医の言葉を今でも忘れない。親切なことをしている

ように見える自分が好き。優しそうに見える自分が好き。だから?

余計なおせっかいで傷つくことだって、世の中にはいくらでもある。

 

私が感じる「幸せ」は、きっと他の人が感じるそれとは違うのかも

しれないってことかな?ま、いいけどさ、それで。


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釈然としないCM [広告]

今日、テレビを見ていたら、私が企画、あるいは関わったCM

偶然3本続いた。ある大学のCM。それから、ある宅配ピザ屋の

CM。そして、ある年賀状印刷・販売の会社のCM

 

しかし、3本目の年賀状印刷・販売の会社のCMは、数年前に

私が企画した内容、さらに替え歌をそのまま使いながら、

毎年新たに作り直してオンエアしている。

 

その仕事の依頼を受けたのは名古屋の広告代理店からだが、こう

して毎年、同じ(ような)CMを、私には何の断りもなく、作り

続けている。私は、ギャラが欲しいわけではない。この仕事の

代理店担当が失礼だと思うだけだ。

 

その担当K氏は、そういうことに鈍感な人なのであろう。まぁ、

私たちのような作り手たちの気持ちなど、全く理解できない

タイプなのだろう。

 

が、しかし、毎年、そのCMを見る度、どうにも釈然としない

気持ちが残る。演出も調子のいいタイプのおっさんだったし、

演出としては毎年、企画的には何の労力も供することなく仕事が

来るし、それでギャラがもらえるのだから、これほどいいことは

ないのだろう。

 

しかし、演出といえど少なからず創作活動に関わる人間であれば、

企画をした人間に配慮をして「これはあの人の企画をそのまま作り

直すようなものですけど、断りを入れるべきではないでしょうか?」

くらいのことは、代理店の担当に言うべきではないだろうか?

 

意識の低い人にはきっと私の真意は伝わらないだろう。そんなことが

多いのが、また世の中の常だ。

 

ところで、先日はいい仕事ができた。演出のT君も私の企画の狙いを

よく理解してくれていた。12月からのオンエアが楽しみだ。


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CMのこと [広告]

CMの企画をしていて思うことがある。それは今や、表現技法の中で

すっかり使えなくなってしまったものがある、ということだ。

 

それは何かというと、所謂「歴史的な常識をパロディ化した表現」と

でも呼ぼうか…。つまり、われわれ世代が常識として、知っていた

史実、有名なセリフ、さらには人物名、エピソード、などをCM

企画のエッセンスとして使おうと思っても、肝心の消費者がそのことを

知らない、という事実だ。

 

例えば、有名な「巌流島の決闘」における武蔵のセリフ。あるいは、

あえて時間に遅れて小次郎を苛々させたことなど。これは私が実際に

以前、ポケットベルのCMで企画したもの。

 

要するに、待てども暮らせども現れない武蔵が、やっと巌流島に着く。

そこで小次郎が「何で遅れるのなら、ポケットベルで連絡を入れない

んだ!」と怒る、という設定だった。ま、簡潔に言うならこういう

ことだ。今なら、通用しない(パロディになっていることが分からない)

CMになってしまう可能性が高いだろう。

 

有名なクラーク博士の「青年よ大志を抱け」という言葉。石川五右衛門は

泥棒であったことや、釜ゆでになったこと。ギブミー・チューインガム、

と言っていた子どものこと。数え上げればきりがない。それでも、それは

われわれ広告を作っていた制作者の、ある意味での啓蒙や風刺に使われ、

それなりに市民権を得ていた表現技法であった。

 

以前なら誰でも知っていた当たり前のことを、あまりに知らない人が

多い。驚きを通り越してあきれてしまう。あれほど学習塾に通って、

多くの時間を知的レベルの向上のために割いてきたはずなのに…。

(とは言え、学習塾ではそんなことは習わないのかも)

 

コンピュータが可能にした表現技術は、素晴らしい速度で進化したが、

表現技法は幼稚化したように思えて仕方がない。      つづく


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CM企画 [広告]

最近、CMの企画という仕事が多くなってきた。今のところ、6本の

仕事を抱えている。いや、久しぶりに同時にこれだけのCMの企画を

することになったわけだが、そこで気が付いたことがあった。

 

それは、まだまだ頭は柔らかい、ということだ。自分でも面白い!と

思える企画が出てくる。齢54歳にして、まだまだ若いプランナーと

互してやれるじゃないか、という自信と安堵感を感じている。

 

そもそもコピーライターであったが、元々漫画好きで、子どもの頃には

漫画家になりたい、などと夢想したこともあったくらいであるから、絵

は、上手くはないが描くのは好きだ。しかも、ラフコンテあたりであれば、

それほどの(基準は微妙ではあるが)デッサン力は必要とされない。

要は、展開が読み解ける程度であればいいわけだ。

 

そのような状況もあって、CMプランナー、という肩書きも取り敢えずは

名刺にも書いてある。初めて企画したCMは、今から20数年前のこと。

自分自身も驚いたくらいに当たってしまった。ただ、自分に、そんな

才能があるとは思いもせず、偶然の出来事だったのだろう、ほどにしか

思ってはいなかった。

 

ところがである、やはり、それはあった。今頃、やっと気が付いたのだ。

企画しても、全く通らない時期が続き、悶々と過ごしたこともあった。

それにめげて、ここしばらくあまり積極的にCMには関わらなくなって

いた。もちろんこの不況下、CMの制作も激減したという事実も手伝い、

商品企画や経営戦略のアドバイス的なことに比重を移してきた。

 

しかし!久々に鉛筆を削り、白い紙に走らせる線から生まれてくる世界は、

ああ、何と言うことだろう、かつてオンエアを想像し、わくわくしながら

CMの企画を考えていた、あの当時の悦びを再び蘇らせてくれるもので

あった。

 

まだ、どころか、かなりやれる!私は、もう少しこの世界で生きて

いけるに違いない、と改めて思った。たかがCM、されどCM

 

私は、インターネット広告がすでにラジオCMの媒体費を超え、電通が

赤字に転落したこの2009年に、もういちどテレビCMが輝いていた

あの頃を思い出しながらCMの企画に取り組んでいる
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感じた広告、感じる商品。 [広告]

いやはや、今から書くことはまったくもって「下ネタ」というやつである。

やんごとなき高貴なお生まれの方、あるいは良家のご子女(元含む)のみな

みなさまには、不埒きわまりない内容であることを先述しておく。

 

30年ほど前、野球チームに入っていた。もちろん草野球である。そのチーム

にひとり、北海道から名古屋に戻ってきて、うちのチームに入っているやつがいた。

その彼が北海道で住んでいたのは、室蘭市だった。

 

彼は、愛車をそのまま名古屋に持ってきて乗り続けていたのだが、ナンバーは

室蘭ナンバーのままだった。今もそうなのかどうだかは分からないが、当時の

室蘭ナンバーは、室50とかいう風に表記してあった。しかし、私たちが見る限り、

そこには必ず左側に、月 という部首(にくづき?)がマジックで書き加えて

あった。しかも、前後ともに書かれていて、こいつは何度消しても、絶対に

書かれるから、もう諦めている、と彼は語っていた。

 

その文字がテレビで大写しになった!しかもその後に「カンジタ」と書いて

ある。ま、所謂そういう病名?症状?があって、それを治癒する薬のCM

なわけでる。でーも、そりゃ、そういう時代になったんだろうさ。時代の

流れはそういうもんさ。とは言え、かんじた は、どうしたって男の想像を

向こうに飛ばせてしまうでしょう。「◯感じた」って…。

 

などと、思っていたら、そういえばソフトドリンクの商品名でも似たやつが

あったなぁー、と思い出した。イオンのスーパーで売られていた。しかも、

その名前に惹かれて私は買ってしまった。ナタデココが入っていて、コリコリ

した食感がまた意外によかった。その飲料、名前は「感じるマンゴー」。

宮崎県知事もご存知なのか…?

 

極力、直裁的な表現は避けて書いてみたが、誠に申し訳ございません、明らかに

「下ネタ」でありました。

 

おまけ:♪67億分の1、巡り会えた奇跡〜なんとか〜、っていう楽曲が流れる

結婚式場のCMがある。うちのかみさん曰く「67億って世界の人口でしょ、

何で、結婚相手が67億分の1になるんだー?」と首をひねっている。「だって、

男と女がほぼ同数だとしても、結婚相手なら異性のはずだからその半分じゃない?」

そりゃそうだ。「しかーも、子どもや年寄り、それとぜーったいに、会うはずがない

地域に住んでいる人だっているだろうよ」と彼女は言う。私も家内が正しい、と思う。

ま、CMだからいいか…。(いいかなぁー?)


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お犬様ファミリー [広告]

ソフトバンクのCMに登場するお父さん(犬)。そもそも犬がしゃべるん

だから、いにしえのアメリカテレビドラマ、馬がしゃべるの「エド」も

真っ青。だから、まぁさ、いいことにしようよ!ってことは数え切れない。

とは言え、それでも「地下鉄の電車はどっから入れるんだろう?」のような

疑問はふつふつと湧いてくる。

 

それでもって、こんどのi-phoneさ。まーね、前から財布はどこに入れて

持ち歩いているんだろーなー?とかは思ってもいたし、あの手(指?)

じゃ(二つ折りの)携帯をどーやって開くんだよー?とは思っていた。

だいいち、私が見る限り、彼(犬)裸だよね、いつも。ひょっとしたら、

裸で過ごす健康法、なんてのがあるかも知れないし、いいんです、細かい

ことはね。面白ければいいんです!CMなんて。

 

ただこんどばかりは、モノがモノだけに、気になって仕方がない…。

いえね、指先で、ま、親指と人差し指ではじくような感じで画面をなぞると

写真が拡大されるよね、i-phoneはさ。で、お犬様がだよ、やっぱいくら

頑張ってもさ、あの操作はできまへんやろ。そりゃ、綱吉様かて、何とも

ならん。

 

今までの日本の携帯電話とは一線を画しているあのi-phoneは、さすがに

いくら目標の100万台に遠く及ばなかろうが、ある種の「表現における

矜持」がなくてはいけないんではないかい?つまりアップル社とのイメージ

と、お犬様ファミリーたちがつくりあげてきたイメージとは落差があまりに

大きいのでは…?などと思うのであります。

 

あの犬のおなかの下に隠されたi-phoneは、その機能や性能をきちんと

発揮できているのであろうか…。どっちでもいいのだが、なぜだか今回は

違和感があったので書いてしまいました。


1秒の言葉 [広告]

中学生の頃、アサヒカメラで連載されていた「にっぽん劇場写真帖」
(続の方であったかもしれない)で見た森山大道の写真に目を奪われた。
粒子の粗いその写真は野良犬が路上で振り向いている姿を撮ったもの
だった。以来、写真の魅力にとりつかれた。

小学生の頃に聴いたジェファーソン・エアプレインの「あなただけを」に
痺れた。グレース・スリックの歌う声とそのビジュアルは、子どもで
あった私にSEXYという言葉をボキャブラリーに与えた。

中学生の頃、音楽の担任であった松林先生の愛車、日野コンテッサを見て、
なんでこんなにかっこいいんだろう!と感動した。もちろんカロッツエ
リアもミケロッティも知らない頃だ。

小学生の頃、強いと分かっている力道山より、やっぱり吉村道明の方が好き
だった。なぜだか空手チョップに疑問を感じ、あれで外人レスラーが
ばたばた倒れるのが不思議だった。

高校生の頃、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」(ハヤカワ書房)
を読んで、SFに目覚めた。同じように柴田翔の「されど我らが日々」と
織田作之助の「夫婦善哉」を読んで女性への興味がわいた。

小学生の頃、母親に連れられて行った映画館で見た「路傍の石」は子ども
心に、抗えないものや、理不尽なことが世の中にはいっぱいあるんだ、という
ことを教えてくれた。今でもこの「路傍の石」という言葉が大好きだ。

19歳の夏、恋をした。1年半ほどで終わった。彼女の母親に言われた
言葉は今でも忘れてはいない。「愛情でパンが買えると思っているの?」
素敵な言葉だった。そして、相変わらずその問いへの答えを探している
自分がいる。

高校1年の時に、バイクの免許を取った。幾人もの顔見知りが事故って
死んでいった。曲がりくねった東山ドライブコースで対向車と正面衝突で
命をなくしていった。後ろにしがみついていたはずの彼女もいっしょに…。

20代半ばの頃にこの業界に入った。当時はACC賞年鑑(CMのコンテ
ストで入賞・入選した作品が紹介されている本)にフォノシート(薄っぺ
らいレコード盤)が付いていた。その中にこのラジオCMが収録されていた。

そのCMを聴いて、私は心がふるえた。1984年のセイコーのラジオCM。
「1秒の言葉」。翌85年にはかつてはセイコーの1社提供であった「ゆく
年、来る年」の番組内でテレビCMとしてオンエアされた。

(やがてその数年後、私はそのラジオCMのナレーションを担当していた方、
中田浩二さんに自分がつくったラジオCMを読んでもらいたくて、指名した)

あれからそのCMは、教科書や、結婚式のスピーチで紹介されたりして、
多くの人に語り継がれていったとのことだ。

私が、まだ若かった頃のことを、なぜだかこのラジオCMのコメントを読む
たび、思い出してしまう。つい最近、再びリメイクされ、テレビCMとして
オンエアされた。

でも、やっぱりあの時のラジオCMがいちばんだと思う。コピーライターは
小泉吉宏さん。そのコピーを(セイコーに怒られてしまうかな?)ここに。

SEIKO R−CM60秒 「1秒の言葉」


はじめまして。
この1秒ほどの短い言葉に
一生のときめきを感じることがある。

ありがとう。
この1秒ほどの言葉に
人のやさしさを知ることがある。

がんばって。
この1秒ほどの言葉で
勇気がよみがえってくることがある。

おめでとう。
この1秒ほどの言葉で
幸せにあふれることがある。

ごめんなさい。
この1秒ほどの言葉に
人の弱さを見ることがある。

さようなら。
この1秒ほどの言葉が
一生の別れになるときがある。

1秒によろこび、1秒に泣く。

一生懸命1秒。

SEIKO


ネーミング [広告]

コピーライターにはネーミング、という仕事もある。ま、言うなれば「命名」
ですか。それは商品名であったり、アパレルメーカーが出すブランド名であったり、
キャンペーンタイトルと呼ばれるものであったり、いろいろですな。

これから書くことは私のことではない。私に限りなく近しい人から聞いた話である。

その近しい人には、同級生にコピーライターをしている人がいたんだそうな。
(昔話か!)でもって、けっこう本人的には「この地区ではかなりイケてる」
女性コピーライターとしての自負をお持ちであったらしい。

なにぶんそのイケてる方とは、私自身は全く面識もなく姿形はおろか、声さえ
その作品さえ見たことがないというお方でございました。(大奥風)

さて、本題でありんす。そのお方は、園芸店のチラシのコピーをお書きになって
いたらしい。そしてある時、みなさんディズニーの「白雪姫と7人の恋人…」
おっと間違えた、7人の小人という物語をご存知ですよねぇ。

その小人の陶製の置物がバカ売れしたんですって、奥さま。まー、世の中、
お家のお庭に小人を置かれることが、微妙にセフレ…、間違えた!セレブっぽく
思われる方々が多かったのでございましょうね。

というわけで、その自称「イケてるコピーライター」に、ネーミングの依頼を
したそうな。してその商品はバカ売れした陶製の小人をさらに大きくして、
見栄えをよりグレードアップしたものでござんす。

さすが、ナニが違う方は考えることが大胆ざんす!そのネーミングを聞いて
私はぜってー、そいつにゃ勝てねー!と思ったわけよ。

はい、そのネーミングです。  「ジャンボ小人」。

って、もう7日間、笑い続けました、私。死ぬかと思いました。(おしまい)


♪時にはコピーライターのように 5 [広告]

あらためて振り返れば、あの頃は忙しかったけれども充実していたような気がします。つくっていたCMも企画内容そのものはあまり良くなかったでしょうが、つくる回数が増えていくと、だんだんポイントみたいなことが分かってきて、途中からはまぁまぁのものが出来たかな、なんて思っています。

また、この頃はほとんど賞に応募もしませんでした。賞のためにスタッフ名やらなんやかやと書かなくてはいけない応募用紙も嫌だったし、ましてや作品だってそれほどいいものだとは、自分で思えなかったし…。今思えば、いちばん充実していたあの頃の作品を出品していれば、ひょとしたら、私もそこそこの知名度のコピーライターになれたかも知れません。(そういうことにしておきましょう)

いや、しかし、私のコピーは正直「変」だったかも。やっぱり賞には入らなかったでしょう。例えば流通(ファッションビル)のイメージポスターのコピー。→「私は正しく訛っていたい。」とかバーゲンの時のコピー。→「希望と現実が日食する日。」クリスマスセールの時のコピー→「誕生日以外はクリスマスの勝ち。」ね、かなり変ですよね。

今もかなり変なコピーを書いています。ある会社の会社案内のために書いたコピーは、けっこう「変」です。もし、興味があればコメント欄にアップします。(すんごい熱いコピーなので、ちょい恥ずかしいので迷ってます…)

余談ですが、私がそのカメラ店の担当を降板した後に、違うクリエーターが東京の有名な演出を起用してCMを制作しました。コマフォトとかいろいろな広告雑誌などで紹介されていました。私の時と違って、かなりの制作予算をかけてつくったようです。しかし、私はそのCMは好きになれませんでした。私は「お馬鹿」なCMがそのカメラ店には合っていると思っていました。すべからく商人は「お馬鹿」が望ましい。賢く見えたら、いかん、とね。

結局、どうにもブラックで(私には)後味の悪いそのCMはやがて消え、ふと気が付くと「お馬鹿」な路線に戻っていました。そしてその路線は、私と気の合う代理店の後輩が再継承してくれたものでした。カメラ店のCMが妙に受けていたあの頃、私は実は大それたことを考えていました。東京でもない、大阪でもない、名古屋らしい広告(CM)が出来ないだろうかと…。萌芽はあったような気がしたのですが…。

あれから20年近く経った、近頃の名古屋のコピーライターは、CMプランナーは、本当に優秀です。東京と比較しても引けを取らない人がたくさんいます。10年一昔とは言いますが、20年二昔の今、この地の若いクリエータの活躍を楽しみに、そして少し羨望の眼差しで見つめている私がいます。    (終わりました)


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