中学生の頃、アサヒカメラで連載されていた「にっぽん劇場写真帖」
(続の方であったかもしれない)で見た森山大道の写真に目を奪われた。
粒子の粗いその写真は野良犬が路上で振り向いている姿を撮ったもの
だった。以来、写真の魅力にとりつかれた。
小学生の頃に聴いたジェファーソン・エアプレインの「あなただけを」に
痺れた。グレース・スリックの歌う声とそのビジュアルは、子どもで
あった私にSEXYという言葉をボキャブラリーに与えた。
中学生の頃、音楽の担任であった松林先生の愛車、日野コンテッサを見て、
なんでこんなにかっこいいんだろう!と感動した。もちろんカロッツエ
リアもミケロッティも知らない頃だ。
小学生の頃、強いと分かっている力道山より、やっぱり吉村道明の方が好き
だった。なぜだか空手チョップに疑問を感じ、あれで外人レスラーが
ばたばた倒れるのが不思議だった。
高校生の頃、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」(ハヤカワ書房)
を読んで、SFに目覚めた。同じように柴田翔の「されど我らが日々」と
織田作之助の「夫婦善哉」を読んで女性への興味がわいた。
小学生の頃、母親に連れられて行った映画館で見た「路傍の石」は子ども
心に、抗えないものや、理不尽なことが世の中にはいっぱいあるんだ、という
ことを教えてくれた。今でもこの「路傍の石」という言葉が大好きだ。
19歳の夏、恋をした。1年半ほどで終わった。彼女の母親に言われた
言葉は今でも忘れてはいない。「愛情でパンが買えると思っているの?」
素敵な言葉だった。そして、相変わらずその問いへの答えを探している
自分がいる。
高校1年の時に、バイクの免許を取った。幾人もの顔見知りが事故って
死んでいった。曲がりくねった東山ドライブコースで対向車と正面衝突で
命をなくしていった。後ろにしがみついていたはずの彼女もいっしょに…。
20代半ばの頃にこの業界に入った。当時はACC賞年鑑(CMのコンテ
ストで入賞・入選した作品が紹介されている本)にフォノシート(薄っぺ
らいレコード盤)が付いていた。その中にこのラジオCMが収録されていた。
そのCMを聴いて、私は心がふるえた。1984年のセイコーのラジオCM。
「1秒の言葉」。翌85年にはかつてはセイコーの1社提供であった「ゆく
年、来る年」の番組内でテレビCMとしてオンエアされた。
(やがてその数年後、私はそのラジオCMのナレーションを担当していた方、
中田浩二さんに自分がつくったラジオCMを読んでもらいたくて、指名した)
あれからそのCMは、教科書や、結婚式のスピーチで紹介されたりして、
多くの人に語り継がれていったとのことだ。
私が、まだ若かった頃のことを、なぜだかこのラジオCMのコメントを読む
たび、思い出してしまう。つい最近、再びリメイクされ、テレビCMとして
オンエアされた。
でも、やっぱりあの時のラジオCMがいちばんだと思う。コピーライターは
小泉吉宏さん。そのコピーを(セイコーに怒られてしまうかな?)ここに。
SEIKO R−CM60秒 「1秒の言葉」
はじめまして。
この1秒ほどの短い言葉に
一生のときめきを感じることがある。
ありがとう。
この1秒ほどの言葉に
人のやさしさを知ることがある。
がんばって。
この1秒ほどの言葉で
勇気がよみがえってくることがある。
おめでとう。
この1秒ほどの言葉で
幸せにあふれることがある。
ごめんなさい。
この1秒ほどの言葉に
人の弱さを見ることがある。
さようなら。
この1秒ほどの言葉が
一生の別れになるときがある。
1秒によろこび、1秒に泣く。
一生懸命1秒。
SEIKO