SSブログ

戦争・原爆・日本人について。2010夏 [戦争・原爆・日本人]

毎年、この季節には必ず「戦争、あるいは原爆」のことについて

書いてきた。そしてまた、今年も書こうか、と思っている。

 

ただ、いつも同じようなことを書いていても能がないので、今年は

例年とは違った観点から書いてみようと思う。

 

それは「日本人の死生観」もっというなら「日本人の考える死とは」

という観点だ。

 

実は前々から不思議に思っていたことがあった。それは、原爆にしても

沖縄地上戦、日本の各都市への空爆など、数え切れないほど多くの

死者(犠牲者)を(一挙に)米国によって強いられたことに対して、なぜ、

あれほど大人しくしていたのだろうか、という疑問だ。つまり、一般市民を

含めた人々の命を、大量に一気に奪う、という行為において、なぜ、米国を

戦後に糾弾しなかったのだろうか?という疑問だ。(その最たるものが原爆

投下だ)

 

諸外国、特にアジアの中国、韓国は、戦後65年を経てもなお、補償を

しろ、などと言っている。その執念深さに比して、いかに日本人は諦めが

いいのか…、と感じる。

 

敗戦国として関係者が裁判に諮られ、その結果を受け止め処刑、処罰され、

所謂「清算」という奴は形式上、終わったはずだろう。ところがだ。

日本は戦争を始めた国だから、という理由で未だに悪者扱いされ、言わば

連合国側の言い分を正当化するためのスケープゴートにされている。

 

また、その象徴が「原爆投下」だと思われる。戦争を始めた国に落とした

のだから、正義になるのだ。卑怯な攻撃(真珠湾攻撃)を行った国だから、

いつまでも許されないのだ。簡単に言えば、そういうことになる。

 

万が一、ドイツがアメリカに原爆を投下していたら、そしてそれによって、

アメリカとの戦争が終結し、ドイツが勝利したら、その行為は「正義」に

なるのだろうか?

 

冗談言っちゃ、いけない。それはただ多くの命をいっぺんに奪い、人道上

許されない行為として永遠に糾弾され続け、下手をしたら国そのものさえ

その後、奪われていたかも知れない。

 

だが、それは無知であったからこそ行われたことでもある。原爆があれほど

悲惨な結果を生み出すものだとは思っていなかったのだろう。だから、できた。

 

私は、だからこそ、いつも考える。アメリカ人もアメリカも悪くはない。

もちろん、あの時代に戦争をしていた国の人々も、決して悪くはない。

人類が悪いのだ。

 

あの時代、欧米列国が次々とアジアを植民地化していけば、自ずとそれに

拮抗するだけの武力と文化をもっているアジアの国があれば、白人に対して

抵抗をこころみるのは自然なことだろう。

 

あの戦争は、結局最終的には「白人と黄人の戦い」になってしまったのだ。

アングロサクソンを筆頭にした白人たちのプライド。どうにもそれが根底に

あるように思えて仕方がない。

 

第2次世界大戦が始まるそのほんのわずか前の時代、黒人たちは白人たちの

奴隷として、ありとあらゆる残酷な行為を彼らから受けていた。しかも、

戦争という人々の理性が全く働かないような有事の時であれば、敵を倒さ

なければ、という理由が成り立つだろうが、まったくそうではない。

 

敵でもなく、自分たちの家族や友人たちの平和を脅かす存在でもない。

そんな黒人奴隷に対して、どれほど酷いことをしていたか…。肌が黒いから。

文化水準が低いから。そこから推量すれば、黄色い肌の日本人が植民地を持つ、

などということが、あるいは、白人に刃向かうなどは、言語道断だったであろう

ことは想像に難くない。

 

鬼畜米英、アメ公、日本人の彼らに対する冒涜的な表現が「憎さ」から

発想されているのに対して、アメリカ人はJAPだ。これはおそらく人種的な

差別感覚から来ている。やはり白人が上。このことを私たちはきっと

忘れている。(しかし、冷静な目で見れば白く透き通るような肌と、

青や緑などの瞳、金色やうつくしいブラウンの髪の毛を持つ白人と

われわれは悲しいほど違いすぎているわけではある…)

 

そしていよいよ「日本人の死生観」ということになる。私は日本人を美化

するつもりはない、731部隊のことも、南京での虐殺、重慶への空爆、

自国民をも殺めてしまう、狂った思想を植え付けられていたことも、慚愧に

耐えないが真実だと認めている。

 

ここで辿りついたのが、日本人の命に対する潔さだ。切腹、などという

ことをしてしまう民族など世界中皆無だろう。以前にも書いたが、輪廻転生

という感覚が、どこかに染みついている日本人は、何度大火事があろうが、

石で家を建てようとはしなかった。燃えることが分かっているのに…。

なくなってしまうかも知れないのに…。

 

しかも、それは自分の命さえ危険にさらされるということであるのに。

生きて虜囚の辱めを受けず、と教えられ、自害を求められる。あるいは

全員死亡を玉砕と呼ぶ。これらにあるのは「死への美学」だ。

 

何らかの大義名分があれば、死ぬことは美しいことなのだ。そういえば

日本人の自殺率はかなり高い。私自身でさえ、死ぬことを考えると、

なぜだか「かっこ悪く死ぬのは嫌だ」などと思ってしまう。死ぬことに

かっこいいも悪いもないのに…。

 

だから、空襲で多くの人が亡くなっても、悲しみはするが、あまり命に

対しての執念は感じられない。生きることへの執念が足りない日本人。

だから、他国の人にもそれを当てはめてしまう。ああいう時代だったの

だから仕方がなかった…。日本人はそう思う。

 

アジアの人々に確かに酷いことをしてきた日本。それは「死」に対する

見解の相違も大いにあったのではないだろうか。ちなみに、自国の戦死者に

対してもその感覚は同じだ。日本人は「命を軽く見ている」人種なのだ。

 

というわけで今年の「戦争・原爆ブログ」は、終わりです。最後までお読み

いただき感謝いたします。また、内容につきましては、あくまでも全てが

未熟な私のごくごく個人的な意見です。ご了解ください。


nice!(7)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 7

コメント 4

Studio-Oz

こんばんは。

戦争を知らない子供の意見ですが・・・(笑)
文民統制の恐ろしさ・・・は感じます。
ソレが既に”文■統△”なのかもしれないのですが?

肌の色で優劣を競うのは哀しい事だと思います。
肉体的には圧倒的に黒人が優れている様に感じます。
侵略されてしまったという史実からも、黒人は本質的には文化的に温和であり優れた民族の様な気が個人的にしています。
肌の色で優劣を競う・・・
何とも情けない事だと感じています。
by Studio-Oz (2010-08-17 23:48) 

toro

今年は市の防災無線から、広島、長崎、終戦の日の3回、その時間に
黙祷をしましょうというアナウンスがありました。
歩いているとき以外は黙祷をしましたが、こういうアナウンスが今まで
あったかどうか…気づかなかったのかな…と考えてしまいました。

「仕方がない」と思うその感情はわかります。
戦後の裁判の話を見聞しても、「仕方がないのになあ」と思うことが
多いですし。
裁けるようなことではない、と思うわけで。
…だいたい裁けるようなことであったならば、戦争なんて起きないん
じゃないの? と素朴な疑問も浮かんできます。
でも、勝ち負けという結果が裁きを生むんですよね…。
何だか変なの…と思ってしまいます^^;
by toro (2010-08-19 09:30) 

engrid

偏見のない事実を、学ぶことが大切だと思います
歴史の断片でなく、背景も各国の思惑、戦後の展開 すべてを総合的に
学ぶこと、
感情論でなく、事実として起こったことをです
そこが基本ではないでしょうか

by engrid (2010-08-19 15:45) 

もりけん

Studio-Ozさん、
肌の色説は、私の個人的な意見ですから、外れているのかもしれません。ただ、JAPもそうだし、
イエロー・モンキー、なんていう言葉からも、根底にはそれがあるような気がします。

toroさん、
人間関係でも、言葉の行き違いで喧嘩になってしまいます。しかも、勘違いから生まれる喧嘩も
数多くありますよね。しかも戦争は勝ち負けを最後までハッキリさせなくてはならないように
なっています。裁こうとしても勝った方が正しい、とは実際、限らないのですが…。

engridさん、
そう思います。客観的な事実を知って、自分で考える。こういうことだと思います。

by もりけん (2010-08-30 17:22) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
月が教えてくれたもの女性たちよ! ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。