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嫌われる人、嫌われる広告3 [広告]

「情報」あるいは「情報の出所」なんていうのは不確かなことが多い。だってそうでしょ、悪意を込めた流言を恣意的に触れ回る輩がいれば、あらら、知らないうちにすっかり信頼が失墜していることだって当然あるある大辞典だ。ってえことはだよ、かんたんにいうとさ、じょうほうはコントロールできちゃう、ってことにつながらないかな?考えても見れば、世の中「絶対に間違いない」長井秀和な情報なんて、自分の目で見たこと、経験したことだけでしょうが。

「広告」はそういったことを巧みに操りながら、モノを欲しがらせたり、その企業を好きにさせたり、そのどこかへ行きたくさせたり、するものなんでしょうね、きっと。ところが、不思議なことに、嫌いだからと言って、効果とは関係ないことが往々にしてあるのが世の常なんですね、これが。私が以前つくっていた某カメラ店のCMは「下品」で「馬鹿馬鹿しくて」「節操のない」クレームがしょっちゅう寄せられる「嫌われる代表」みたいなCMであった、実は。ところが商品は大変によく売れた…結局。売り上げはその「嫌われるCM」のおかげでぐんぐん上がった、ホント。嫌いは嫌い。でもそれ以上でもそれ以下でもない…。この現象は多分「らしさ」と表現がフィットしているかどうか、なのだと思う。だから、嫌われていると思われる私は、ある意味「嫌われる自分を活用した」プロモーションをすればいい…。とここまで考えると、自分に与えられた役割に気付くことが人生で最も重要なことになるのではないかと思い当たる。そういえワイドショーには、必ず、ちょっと意地悪なことを言ったりするヒールが必要だ。いや、ドラマだって、スポーツだって、町内会だって、会社の中にだって、悪役がいてくれなくては展開が面白くない!

というわけで、だんだん収拾がつかなくなってきた状態のまま次回に続きます。


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嫌われる人、嫌われる広告2。 [広告]

では「雰囲気」とは何ぞや?ということを今回は考えてみるとしよう。ある人物がいる。立派な顎髭と口髭、さらには隆々たるもみあげを蓄えている初老の男性としよう。また、服装はTシャツにジーンズ姿。で、この男性の紹介文に「国立東京芸術大学卒業」と、あったらこれは即ち『芸術家って、こんな雰囲気だよね』で十分理解を得られてしまわないだろうか?けれども、同一人物が自身の素性を伝えないまま、アルミ缶を拾っていたら(アルミ缶で芸術作品をつくるつもりで…)こりゃもう所謂『ボブ・マーリーおじさん』だわな。つまり、みんなはなにがしかの「手がかり」を頼りにその人の「雰囲気」をプラスに持って行くか、マイナスに持って行くかを懸命に推し量っているわけだ。(それ以前のファーストインプレッション、なんてものも当然あるが、それは女性が言うところの『生理的に好きじゃない』という、全く根拠を推測することが不可能なカテゴリーに入るので割愛)見た目、つまり、顔がいいとか、悪いとか、確かにあるが、疑似恋愛的な嗜好を問うのでなければあまり問題にはならないと思う。要するにニッポン放送買収の際に、ホリエモンの服装のことを言ったナベツネの盟友みたいなもので、スーツを着ていない奴は失礼な奴だ、という彼なりの手がかりから、堀江さんはマイナス側に転がってしまうわけだ。でもって、雰囲気が気に入らない、とあいなる。また、紹介文という言い方をしたが、好き嫌いを左右する要因として「情報」あるいは「情報の出所」というのもけっこう悩ましい問題になる。


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嫌われる人、嫌われる広告1。 [広告]

さて、人はどのような理由で人、あるいはモノが嫌いになるのだろうか?また、単独では好感を持っているのに組み合わさると嫌いになる、なんてこともある。例えば、あるクルマ(仮にポルシェとしよう)が単独?ならかなり好き!だと感じている自分がいる。ところが、自分の嫌いな人がそのクルマに乗っていることがわかると、急にそのクルマも嫌いになってしまう。まぁ、こんなことは日常的によくあることですね。これは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」っていうパターンです。で、これは「嫌い度数」でいうとどの辺りかというと、かなり低い度数になるでしょう。基本的にそのクルマには好感を持っているのですから、自分的に好感を持っている人が乗っていたりすると、もうぐーんと好きになってしまう。根拠のない「嫌い」と言ってもいい。一過性です。

ところで、私は私があまり接触したことがない人から「嫌われている」という話を時々聞いたりする。けれど、私の記憶に間違いがなければ、その人とは、概ねほとんど会話も交わしていないし、一体何が嫌いか、と考えれば「私の雰囲気」が嫌いなんだろうと思うしかなくなってくる…。

さてさて、ではここで「雰囲気」とは何か?という問題について整理しなくてはならなくなってきちゃう。私は広告のコピーライターである。今は大学で「メディアコミュニケーション論」なんて、ものものしいタイトルの講座を受け持っている。これから書き綴ろうと思っていることは、要は「好き嫌い」の心理から、広告への好感度がどのようにつながっていくか、といったことを考えていこうということなんですね。あ、それから文体への試みもしていきますので「ですます」がどーだとか「体言止め」とか、言わないでちょーね。


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