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振り返ればこんなこともあったなぁ。(1) [思い出・雑感]

1カ月ほど前に51歳になった。だからといって別に何も変わるわけではない。淡々と時間は過ぎていく…。最近、私より随分年下だけど70年代とかのロックが好きで、なんて人と話すことがよくある。そんな人と私が高校生の頃の話をすると妙に受ける。先ず、私が高校1年のときは安保の自動継続が決まった年だった。新聞部だった私は、先輩に言われるがままにデモに連れて行かれた。学校の校門の前では先生も生徒も同じように安保反対のビラを配っていた。机の中を見れば、そこにもビラ!激しかった60年安保闘争から10年、70年安保闘争真っ盛りだった。

日米安全保障条約に特別な思いがあったわけではない。ただ、この心の中のもやもやは、きっとこうした「体制からの圧力」によって生まれるものなんだ、と勝手に思いこんでいた。でも。違っていた。あれほど尊敬していた団塊の世代はただの「わがままで自分勝手なプチブル」に成り果てた。育ててきた子どもたちは盲目的なブランド好きで、パラサイトを当たり前だと思いこんだ大人になりきれない「団塊世代チルドレン」になった。

誇りもアイデンティティも持つことができないまま、日本人は世界中から嘲笑され、足元を見られ、何度謝罪しようが韓国や中国からは言いたいことを言われ、それでもにこにこと笑ってきた。いつからこんな風になってきたのだろう…?私は決して思想的に特定の方向を向いているわけではないが、それでも思ってしまう。

あ、話が脱線してしまった。私の高校生の頃の話だった。あの頃の私は(ちょっとお恥ずかしいが)長髪にベルボトムのジーンズ、足下はロンドンブーツ!(時々下駄)高1の秋に安保闘争は終わり、それからのよりどころは「ロック」だった。とにかく一日中ロックを聴いていれば、それだけで楽しかった。その頃、京都は私たちの世代にとって独特のポジショニングを持っている街であった。名古屋でもフリーのロックコンサートやブルース、フォークのコンサートは開催されてはいたが、やっぱり当時は京都だった。円山公園に行けば「上田正樹とサウストゥサウス」やら「有山淳二」やら「ウエストロードブルースバンド」など、錚々たる人気バンドやミュージシャンがライブをしていた。当時はちょうどブルースがブームになっていて「憂歌団」も人気があったし、東京では「レイジーキムブルースバンド」なんてのも人気があった。そんなこともあって、高3の時に私は京都へヒッチハイクで行こうと思った。(続く)


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yukki-

うちの主人の大学時代の写真を見たら
妙に体にピッタリのシャツを着ています。
すごく痩せてもいますが^^;
辰年なので年の頃はもりけんさんと同世代みたいですね。
小学生時代は運動会のときは足袋を履いて走っていたとか…
by yukki- (2005-10-31 15:42) 

もりけん

yukkiさん、nice&コメントをありがとうございます。ご主人、私より2歳年上ですね!ところでその写真、もうしっかり想像できてしまいます。シャツは妙に体にぴったり…、でした。もちろん私もがりがりに痩せていました。当時の体重は今より20キロ近く少なかったはずです。その頃の私の写真を見せると、間違いなく全員、笑いを我慢しながら「へー、こういう風だったんだー」というリアクションを見せます。どうやら感想を述べるのに適切な言葉が見つからないようです…。
by もりけん (2005-10-31 17:29) 

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